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さて、最近気温が上昇。昼間は暑いと感じる様になってきました。
新型コロナウイルスの新規感染者もまだまだ高止まりですが
博多祇園山笠が今年は、開催される模様。
そこで、福岡出身ではないのであまり「博多祇園山笠」について調べてみました。
博多祇園山笠は、本来はお祭りではなく、櫛田神社の奉納行事として行われていたそうです。
博多祇園山笠の始まりは
博多祇園山笠は、鎌倉時代に博多に疫病が蔓延した際に、承天寺の住職が施餓鬼棚に乗って、町に水を撒きながら清めて、疫病を追い払う祈祷をしたことが始まりとされているそうです。
また、安土桃山時代に島津氏と豊臣氏の戦いにより、焼け野原になった博多の町並みを幾つかの区画に分けて、「流(ながれ)」というグループを作ったことで、博多祇園山笠の各流が誕生したそうです。
施餓鬼(せがき)とは、餓えに苦しむ全ての生き物に対して、食事を与えて供養すること。
現在の博多祇園山笠のグループ
- 恵比須流
- 大黒流
- 土居流
- 東流
- 西流
- 中洲流
- 千代流
追山のルーツは
「追山」は本来、飾山笠の豪華さを競い合いながら、町を練り歩く行事だったようですが、江戸時代に土居流が東長寺で休憩をしていたところ、石堂流という現在の恵比須流に追い越されるという事件がきっかけとなり、2つの流が速さを競うレースをすることになったそうです。
そのことが、当時の町人に大変受けたことから、現在の山笠を担いでスピードを競い合う「追山」が始まったとされているそうです。
そして、博多祇園山笠の山笠は、国の重要無形民俗文化財に指定されていて、ユネスコ無形文化遺産に登録されているそうです。
舁き手(かきて)とは、山笠を担ぐ人のことで、山笠で市内を回ることを「舁(かく)」と言う。
👆今年の4月初旬の桜の時期に撮った「櫛田神社」
「博多祇園山笠」
「飾り山」しか見たことがないですが、テレビのニュースで見る限り激しそうな行事(;´・ω・)
参加される方は、くれぐれもお怪我内容お祈り申し上げます。
Imura.